今日、ペーター・メリクリと青木淳さんの展示会を見に行きました。
二人の、スタディ(考えるための模型とか絵)をちりばめているのだけど、メリクリのスケッチがかわいくて、とても50過ぎのオッサンの描く絵じゃないなと思いました。また、青木さんの模型のスタディもちゃんと解説が書いてあっておもしろかった。
模型が、天井からつってある台の上にあって、ゆらゆら揺れて、その下が抜けている風景も面白かった。そういう風景をつくる空間もいいなと思った。
皇居の近くの美術館であったのだけれど、そこに常設してある作品にワシリー・カンディンスキーという人の「コンポジション」シリーズが一つあります。今のロシア出身の人で、バウハウスを語る上で結構重要な位置にくる人です。平面的な絵の中に都市的な構成が散りばめてあって、見入ってしまいました。
二次元的な線と点と面でしかないものをこうもうまく表現でき、なおかつメッセージを伝えられるものってすごいなと思いました。
2008/07/20
隠れDJ
この映像、見えにくいけどredioheadがDJしています。
tomが自分のiPODに入っている曲なんか流しているとちょっとうれしい。
Radiohead Webcast 09-11-07 - Thom DJ /Part 1
tomが自分のiPODに入っている曲なんか流しているとちょっとうれしい。
Radiohead Webcast 09-11-07 - Thom DJ /Part 1
ルールと儀式
最近、建築ってやデザインの美しさってどれだけ美しい方程式をつくっていくかで決まってくるような気がする。方程式のないようなインテリアって腐るほどあって、それが評価されていることをアンチとして捉えるのが、僕らの使命のように考えていたけど、それって方程式をつくるっていうルールに捉えられている人の思っていることで、ルールなんてなくても気持ちの良い空間はあるように思う。でも、気持ちの良いということって、ただの形容詞なだけで、捉え方十人十色だから伝えやすいルールを提示するほうがやっぱり美しさ、気持ちのよう空間に繋がっていくような気がする。
都市の中でも、いろいろな制約があって、それに準じてみんな生活をしているけど、もし道が全て平行なら信号ってないし、建物の配置や高さ制限なんかもなくなってくると思う。平行じゃないっていうルールを与えたときに制約が生まれ、アクロバティックな配置の都市になってくる。
都市のルールなんてストレスでしかないけど、守ることで均衡を保ってる。結局、儀式的な行為で都市は出来ているのかなと思った。
都市の中でも、いろいろな制約があって、それに準じてみんな生活をしているけど、もし道が全て平行なら信号ってないし、建物の配置や高さ制限なんかもなくなってくると思う。平行じゃないっていうルールを与えたときに制約が生まれ、アクロバティックな配置の都市になってくる。
都市のルールなんてストレスでしかないけど、守ることで均衡を保ってる。結局、儀式的な行為で都市は出来ているのかなと思った。
2008/07/16
2008/07/06
ロシア・アヴァンギャルド
先週の日曜、渋谷のBUNKAMURAへ「青春のロシア・アヴァンギャルド」を見に。
マレーヴィチの作品が多くてなかなか面白かった。やっぱり、コンポジション系も沢山あったけど。
リシツキー、カンディンスキー、アーキペンコ、タトリンの作品なんかもあってちょっと感動。
マレーヴィチの作品が多くてなかなか面白かった。やっぱり、コンポジション系も沢山あったけど。
リシツキー、カンディンスキー、アーキペンコ、タトリンの作品なんかもあってちょっと感動。
原っぱと・・・
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